「小太郎」 京都町屋ギャラリー「be-京都」・『ゆう美展』 2021 夏

 

2021年夏、篆刻家の傅巍さんのお誘いでこの展覧会に出品させていただいた。

東京銀座の画廊から京都の上京のギャラリーへと巡回するというこの企画、コロナ禍の夏、開催できるのか心配していたが、無事開催され、かえって人々をつなぐ温かいものになったように感じる。

コロナ禍、外出する機会や人と話すことも減った。このような展覧会で、誰かとひとつの作品を観て、それぞれがその感想を語り合うことは、お互いを感じ、共感し、大切にしあえる、かけがえのない体験であるとあたらめて感じた。幸せな時間である。アートの持つ可能性を感じた。

私は銀座の「ゆう画廊」での展示は観ることを出来ななかったが、京都の町屋ギャラリー「be-京都」での展示を見ることができた。

この作品たちはまるで、ずっと前から展示されていたように見える。

柔らかな漆喰の「白」のせいだろうか?この壁面には様々な白がある。ライティングでやや黄ばみを帯びているが、壁そのものに柔らかい質感がありや光と影があり、そこに時間と空気を感じる。素敵なギャラリーである。

 

『小太郎』という作品を出品した。アウトラインを描かず、墨の濃淡によって、立体感を表現する没骨(もっこつ)法という技法で小鳥たちを描いた。没骨法になったと言ったほうが良いかもしれない。

この作品は左から右へと続く墨の線が枝になったり、地面になったり、あるいは遠くの丘や山に見えたりする。我ながら不思議だ。墨の点は集まったり、離れたりして、葉っぱのようでもあり森のようでもあり、モゾモゾと動き出しそうな生物のようでもある。

ひとの目はいつも見えるものの意味を探してしまう。それがなんであるのか? そこに何が描かれているのかと。

墨の点は「いのちの粒」

墨の線は「いのちのスイング」

心の中の丘を登ったり、降りたり、枝にとまったりと空想してみて欲しい。そして感じたことを誰かに語ってみてほしい。

想像力は共感力を豊かにし、きっと自分にも人にも優しくなれると思う。

コロナという感染症がそれを私に教えてくれた。