空想の山、ソラク山へ

 

秋の山が描きたくて、山馬系の荒い毛の筆を使い、墨をよく切って空想の山を描いてみました。

 秋の澄んだ空気のなかで、紅葉した木々の葉が風でカサカサと音をたてているような、あるいは夏、草で覆われていた岩や石が斜面からごつごつと現れ、孤独な存在感を感じさせているような山です。

 秋草がゆれて、鳥たちが急に羽音をたてて、飛び立っていく、きびしくて懐かしい。日本の山のように優しく身近な山ではなく、かといって中国の山のように奇峰が連続した、人里離れ仙人たちの住むよう山でもない山。例えば中間にある韓国の山。そんな思いを秘めて、この絵を福岡市アジア美術館でのはじめての個展で展示しました。

 

 

 

空想の山 心のなかの山 「ソラク山」

 するとなんとこの展覧会を見に来てくれたわたしの韓国人の友人がこの絵を見るなり「韓国のソラク山だ!」と言ってくれたのです。彼女はじっとこの絵をみてくれていました。そこでわたしは、この絵の題名を迷わず「ソラク山」としました。

 残念ながら、その彼女は20年以上暮らした日本から、たくさんの喜びと悲しみを持って、ふるさとの韓国に帰っていきました。この作品はわたしにとって、一度も行ったことのないふるさとの山、空想のなかの山 「ソラク山」となりました。