ジャズと水墨画のセッション

 

ジャズを聴きながら水墨画を画くとこうなりました。

 ところで杜甫は『飲中八仙歌』の中で「李白一斗詩百篇…」「張旭三杯草聖傳…」と酒豪の詩人の李白や書家の張旭たちのことを取り上げ、中国の唐代の芸術家たちの芸術活動とお酒は切り離せないことを歌っています。現代社会でこれほどのお酒を飲んで、あらたな芸術的境地を拓くことは、やはりなかなかできないでしょう。しかし、お酒ではなくて、音楽となると充分考えられます。私の場合も制作中に音楽をかけることもよくあります。またどんな音楽を聴くかによって実は作品の作風がかなり変わってきます。

 

小曽根真さんのアルバムをよく聞いていたころの作品です。20008年ごろの作品です。

 繊細な彼のピアノのタッチとは全くちがっていますが、画面左上にピアノの鍵盤のようなものがあるのがおわかりいただけますか?ジャズピアノです。

 ひとつの場所にいろんな物を無理やり入れんこんだところを楽しんでみていただければ有り難いです。いろんなもの、楽器?や昆虫のようなキャラクターがそれぞれに一生懸命我を張りながら、まるで「セッション」しているように作者の私は感じられます。ということで題名は「セッション」となりなした。

 

どんな音楽が水墨画の制作に適していないのか?

 個人的感想として、水墨画の制作にもっとも合わないのがモーツァルトとショパンではないでしょうか?たぶんモーツァルトの高音の装飾音符のくりかえしには神さまの領域につれていかれるような魔力があり、またショパンたっぷりとした抒情性はとても気分を染めやすく、翻弄されて、深い自然な呼吸がたぶん出来にくくなるからでしょう。

 あえてクラッシックで挙げるととすればバッハでしょうか?バッハの作品はいろんなアーチストによってさまざまにアレンジされてきました。バッハの場合は聴くものや演奏するものそれぞれにおいて、バッハの世界を自分の方に引き寄せて感じとり、イメージしてまた表現することを許してくれる、余白のようなものを残していてくれるからではないでしょう。ただし、グレン・グルードの弾くバッハはちょっと例外のようです。聴いていると思わず引き込まれ、水墨画どころではなくなってしまします。天才と呼ばれる人たちの演奏との「セッション」はそううまくはいきません。

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 やはり気楽に聴けるのものが水墨画の制作にはいいようです。たとえば軽めのジャズであったり、ポップスであったり。ということで小曽根さんとかMISIAとか。制作の後半でちょっといれるなら椎名林檎さんも面白い形がうまれることもありました。そういえばMISIAも林檎さんも私の今いる福岡のまちでで青春を過ごした人たちですね。福岡とも共通するストレートでアツい空気感が、ひるまないで水墨画を画くことを手伝ってくれたこともあります。