逸
『逸』 というタイトルにはなかなかたどり着かなかった。
「逸脱」の「逸」。
どこかへ逃れるという意味。日本語の語感からすると、逃げることは卑怯のことのように感じるかもしれないが、むしろこのタイトルには「逸楽」の「逸」、逃れて楽しむという意味を込めて「逸」として名付けた。
左上のカールした太い線がこの絵の始まりである。その傾きやそり加減が大きな伽藍の屋根を連想させ、そこから、仏教的なインスピレーションとテイストが生まれた。
法隆寺の青銅製の風鐸のような金属的な形と、時代を経て綠青へと交錯し、変化する銅の色たち。そして宝石をつないで作った仏像の首飾りのような弧線の重なり。
描いていない画仙紙の余白の白が、まるで漆喰の白い壁のようだ。その扉をあけると仏たちが待っている。
伽藍は大仏殿だろうか。
まっすぐ立っていなければならない、決して微動だもしてはいけない大伽藍が、思わずに左へに傾き、画面から逃げ出そうとしている。魔が差したのだろう。
「中にいる仏像たちは時々外に出かけて行けるのに自分は何百年もずっとここに立ってきた。」と言って伽藍は身震いした。「みんな捨てて、逃避できるものなら。」
波うつ甍の瓦たちも、鴟尾たちも、みんな振り落とされ、その青海波の文様が、ピーコックの羽のようにひろがって中空に浮かんでいる。
孔雀のような、水鳥のような鴟尾たちは、地上の池のほとりで出会い、今、恋をし始めた。
「逸」「It’s〜」「It’s in love,」
さあ、38度の酷暑から、そして記念すべき誕生日を前に、なってしまったギックリ腰の激しい痛みから逃れよう。
空想の世界へ。
2020年8月16日