大和路

 

 

JR奈良駅の改札を出ると、正面に若草山が見える。なだらかな丸味を持つはこの山は 大和絵に出てくる山そのものである。三つの笠のような山が重なり合って見えるので三笠山ともいわれる。

以前、奈良に夕方時分に着いたことがあって、ホテルに向かおうと改札を出たその時、若草山から今生まれ出たような黄色くて大きな満月と出会った。まるで時間が止まったようで、古代の時間の流れの中に引き込まれたかのようでもあった。黄色い月の光が世界を照らしている。月はちょうど大仏殿の方角にあって、信仰心の薄い私にも月の光が仏様の慈愛のようにも感じらた。奈良の人はよく「奈良は大仏さまに守られているから大丈夫。」と言う。こういうお月さまに出会うと素直にそう思える。

この絵には黄色の部分はないが、その月を空想し、画面に補完しながら見るのも楽しい。

 

 

この絵にはこれまで訪れたことのあるいろんな奈良の風景がある。

この絵は最初から構図を考え、そこにその風景を織り込んだと言うのではなく、むしろ描きながら思い出し、思い出しては描き、そうして出来上がっていった心象の風景である。自分の見た風景の記憶はあやふやでよく思い出せない。ただ、むしろゆったりとした時間の流れや、風の感じが身体の記憶として強く残っている。

 

 

たとえば早朝、室生の里を巡った時、民家の生垣や庭から母屋の様子が見え隠れしていて、今にも鶏の一羽も出てきそうなのどかな印象を受けたことがある。奈良墨の試墨をさせてもらうために通った西の京で、唐招提寺の伽藍の向こうに薬師寺の三重塔が見たことがあった。山辺の道を散策して、古墳を巡った。その時の時間の流れはもちろん目に見えないけれど、もし誰かがこの作品を見て下さったとき、奈良に流れる時間の感覚を一緒に感じて下さったらなんと素晴らしいことであろう。

少しかすれたホキホキした短い濃いめの線たちと、大きなストロークのたっぷりと潤いのあるの跨線の対比を、茶と青のトーンの色彩でつないでひとつに融かして作品にした。