小鳥と虹

まずはじめに、薄墨も薄墨、ほとんどお水に近い淡墨でふたつの弧線を描いた。

描いているときはただ濡れて見えるだけだった。

そこに濃い墨で嘴と目玉を描いて小鳥のあたまを描いた。

筆の中で含んでいた水分と濃い墨が溶け合って、にじみがひよこのような柔らかい羽になった。小鳥のおなかの部分に淡墨の線がよぎっている。

 

墨と画宣紙という特別な組み合わせで不思議な効果が現れる。先に描いた線が、あとに描いた線の前に出てくるのである。これはほかの画材にない面白みである。絵の具で描く場合は先に描いたものの上にその絵の具がのって、下の部分を覆っていくのだが、墨の場合は先に描いたものが一番前にくるのである。特に古墨になれば、その効果はよりきわだってと現れる。

これを「基線の抜け」という。理路整然と丹念に線描きしていけば、作者がどの順番で描き進めたかを読み解くこともできるだろう。その辺りが水墨画と書の接点の一つであるのかもしれない。

書の場合、一つの文字をどこから書いて良いというわけではないだろう。多くは筆順にそって描き進んでいく。一点一画が交差するとき、画宣紙に書くならば、その互いの線の絡みに前後関係が表出される。それが組み合わさって、書の立体感を作り出す。

水墨画の場合、その重なりは空間の奥行きとなって現れる。

空間の奥行きを表現する代表的な方法として西洋の遠近法がある。例えば建築のデザインなどで使われるパースというものなどである。奥にあるものほど、比率に従って、どんどん小さく描くことで奥行きを表現する。これに対して、水墨画の場合の空間表現は物の重なりによって、前後関係が現れる。また、余白の取り方やその周りの墨の濃淡によって、見るもののイメージを刺激して、奥行きを想像させることができる。

 

 

一筆描きのこの作品では、余白を楽しんで見てほしい。

 

 

小枝の上にとまっている小鳥なら、小鳥のおなかと小枝が重なり合うのは道理に合わない。小枝が小鳥のお腹を刺してしまう。この絵がかろうじてそう見えないのは、この二本の弧線を、淡墨で描いたことによる。とても薄くて、周りの余白と融けあいそうな感じだ。しかしそれが空気感を生み、小枝にとまる小鳥ではなくて、空気の上にとまっている小鳥? 光の線? 虹にとまる小鳥になった。会心の作である。