壺中春
どこが壺で、どこが春? この酷暑の夏に?
かすれ気味の長い曲線に花が咲いて、全体的にピンクの感じが、この作品のタイトルになった。
とても前の作品で、どのように描いたか思い出せない。
でも今見るとちょっと楽しい。
どこか思春期の甘酸っぱい感じを思いださせる。淡いピンクのせいだろうか。
この作品は、もともと横長の方向で描いていたのが、それではふつうになってしまうというとで、最後の落款を押す直前で天地が入れかわった。
最初に描いたときのように、天地を戻して、あらためて眺めて見ると、それはそれでおもしろい。絵本の1ページのようでもある。
帽子をかぶった人が、マントのような上着を着て、手を降っているようにも見える。
最初からこう描こうとして、こうなったのはなく、また描いているときに、それか帽子のように見えて、それを帽子に仕立てたというのでもない。とどのつまり、デッサン力がなく、下手なので写実的に描けないのである。そしてだからと言って、なんとかして写実的に描こうという気もなく、結局こんな風な表現になったというのが正直なところである。
下手な絵ほど見る人に想像の自由な拡がりを与えると信じている。
作品の天地はどうのようにして定まるのか?
今日はこちら側から、明日はあちら側からと、くるくる回してお気に入りのカタチを見つけて、楽しんでみたい。
それでも落款を押して作品の天地を定め、仕上がったことにする。
作品の天地が決まるというのは、落款に漢字が彫られているからである。漢字には当然上下があって、そこに意味があり、文字は言葉や文学の世界に繋がっていく。
多分、となりにある文学の世界に繋がっていくということで、創作に区切りをつけているのであろう。
しかし私は絵を描くとき、文字や言語とほどよい距離感を保っていたいと思う。できれば絵の世界を言葉でくくられたくない。これはこうなんだと決めつけたくないのである。
自分も見てくださる人も絵の世界では自由でありたいと願う。
だから、私の作品には、きっと絵のような感じの落款が 似合うと思う。
この落款は上海の童衍方さんによるもので、とても気に入っている。
朱磦の印泥がよく似合っている。
2020年8月18日